2月15日はお釈迦様がご入滅された日で涅槃会が行われる
涅槃会
お釈迦様のご命日を涅槃会(ねはんえ)または、常楽会(じょうらくえ)という。日本では2月15日に行われますが、南方の国では5月の満月の日に行われます。
お釈迦様は紀元前383年、80歳でお亡くなりになりました。35歳でお悟りを開かれたお釈迦様はその後、45年にもわたり、人びとに教えを説く旅を続けられました。その間、多くの人びとがお釈迦様の教えに導かれ、お弟子や信者となっていきました。その伝道の旅の最期の地となったのは、クシナガラという所です。
ヒマラヌヤヴァティー河の岸辺にある沙羅双樹(さらそうじゅ)の下で、頭を北にし、右脇を下にした形で亡くなりました。これに習って、仏式では亡くなったときに北枕にして寝かせます。
臨終にあたって残した言葉は次のように言い伝えられています。
「あらゆるものは、うつろいやすいものである。怠ることなく、精進せよ。」
「私が説き示した法と律が、私の亡きあとはあなたがたの師である。」
そしてアーナンダには、
「自らを灯明とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法(真理)を灯明とし法を拠り所として、他のものを拠り所とせずにあれ」と諭されました。
これを「自灯明、法灯明」(じとうみょう、ほうとうみょう)の説法と言い、とても有名な説法です。ずっと傍に仕えていたアーナンダは、弟子の中でもとくにお釈迦様の側を離れず、説法も一語一句忘れずに覚えてしまうほどの聡明な十大弟子の1人で、「多聞第一」と称される人物でした。そんなアーナンダは、「このまま亡くなってしまわれたらどうしよう‥」と心配していました。その気持ちを察したお釈迦様が説法したものでした。
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涅槃(ねはん)とは、ニルヴァーナ(Nirvana(梵))の訳で涅槃、減度、円寂、不生不滅などと言われます。その意味は、ニルヴァーナの語源から、吹き消すことを指し、転じて貪瞋痴(どんじんち)の妄炎を吹き消すこと、また吹き消した状態を言うものとなったとされております。貪欲の滅尽、瞋恚(しんい:怒り)の滅尽、愚痴の滅尽 つまり、三毒がなくなった状態を涅槃と定義されているそうです。そして、吹き消す意味から涅槃、即お釈迦様の入滅=“死”そのものとも理解されて、わが国では古来お釈迦様入滅の2月15日を涅槃会(え)とし、涅槃図を掲げ、仏遺教経を誦してお釈迦様の死を偲ぶ法会が各宗寺院にて営まれ、民俗行事として、人々の心に深く浸透してきました。
涅槃経の中で、教えの内容よりも、お釈迦様のご入滅前後数週間の出来事を詳しく記しています。
ついに終焉の地クシナーラー(現在のカシャ)のウパヴァッタナというサーラ林に着かれた。仏陀は、アーナンダに命じて、二本のサーラ樹(沙羅雙樹)の間に、頭を北に向けて床を敷かせ、その上に右脇を下にし、両足を重ねて、静かに横臥された時に、サーラ樹は時期はずれの花が咲きそろったという。仏陀は悲嘆・涕泣するアーナンダに慈愛に満ちたことばをかけられ、また滅後の記念すべき四大聖地、葬儀の方法、塔供養などについて説かれた。
クシナーラーの故事である大善見王の本生が語られたのも、この時であるが、それはパーリ本では別出されている。引用:『大般涅槃経』「遊行経」より
お釈迦様がマッラ国クシナガラの沙羅双樹の下にて入滅(般涅槃)する直前、アーナンダはお釈迦様に、このような場末の地で亡くならないでほしいと請う。
それに対してお釈迦様は、クシナガラがかつてマハースダッサナ王(大善見王)という正義の帝王によって、治められていた都市クサーヴァティーであることを述べ、その詳細が語られていく。最後に、そのマハースダッサナ王(大善見王)こそが、お釈迦様の前世であることが明かされ、クシナガラが入滅(般涅槃)にふさわしい地であると述べられる。
お釈迦様のご遺体は7日間手厚く供養されたのち、マッラ族の信者の手により静かに火葬され、やがて雨が降り注ぐと、そこには真っ白な骨のみが残されたそうです。今、その場所には荼毘(だび)塚が建っている。お釈迦様のご遺骨は、8つに分骨され、仏舎利 (ぶっしゃり:お釈迦様のご遺骨) としてそれぞれの国の王によって持ち帰られ、マガダ国、ヴェーサーリー、クシナガラ、そしてお釈迦様の故郷カピラヴァッツなどにはストゥーパ(仏塔:ぶっとう)が建立されたと言います。
出典:涅槃図(国宝・平安時代)金剛峯寺蔵 高野山霊宝館
上図は、涅槃会で掲げられる絵のことで、涅槃図とも呼ばれています。
お釈迦様が入滅された時の様子が描かれています。「沙羅双樹の下にてお釈迦様が北に頭を向けて右脇を下にしながら横たわっていて、お釈迦様の周りには菩薩様、十大弟子、摩耶夫人、スジャータ、野生の生き物などが描かれている」といった内容になっています。
ご遺言の記念すべき四大聖地とは
ご自分の滅後に信心のある人々が訪ねて感動する場所が4つあると、お説きになっています。
記念すべき四大聖地
1、釈尊ご誕生の地
ルンビニー(ネパール)
2、お悟りを開かれた成道地
ブッダガヤ
3、初めて説法をされた初転法輪の地
サールナート
4、ご入滅の地
クシナガラ
これらを訪れた人は、
如来はここでお生まれになったのだ。
如来はここで無上の正しいお悟りを開かれたのだ。
如来はここで初めて教えを説かれたのだ。
如来はここで最後の教えを説かれ、ご入滅されたのだ。
そう言って感激し、心を浄め菩提向上することができる と言います。
お釈迦様三仏会
涅槃会はお釈迦様に関する三大行事のひとつです。
涅槃会(ねはんえ) 2月15日 お釈迦様が入滅された日(一生を終えた日)
降誕会(ごうたんえ) 4月 8日 お釈迦様が誕生された日(誕生の日)
成道会(じょうどうえ)12月8日 お釈迦様が悟りを開いた日(仏陀となった日)
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お釈迦様のご生涯
ここで簡単に、お釈迦様のご生涯について、豆知識としてちょっとだけ説明します。
誕生
今から約2,500年前にお生まれになりました。(4月8日の降誕会でお祝いします)
釈迦族という部族の王子として、ルンビニー(現ネパール)でお生まれになりました。
悟りを開かれるまでのお名前は、ゴーダマ・シッダールタ。悟りを開かれてからは、仏陀(ブッダ・目覚めたもの)となられました。
また、釈尊とは釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)の略で、釈迦族の聖者の意味があります。
お父さまはスッドーダナ(浄飯王・じょうぼんおう)、お母さんはマーヤ(摩耶夫人・まやぶにん)
お母さまはお釈迦様を出産された後、まもなく亡くなりました。そして母の妹に育てられました。
奥様はヤショーダラ。息子はラーフラ(らごら)、 後に仏陀となったお釈迦様の弟子となります。
出家
王子としての生活を送りながらも、苦しみや悩みを背負って生きている人間の本当の姿に気がつき、その解決の真理を求めるため、29歳の時に出家されました。
「四門出遊」という有名なおはなしとして描かれています。すなわち、ある時シッダールタ王子は城の東門から外へ出たとき老人を見て衝撃を受けられた。次に南門から外へ出て病人を見て衝撃を受け、さらに西門から外へ出て死人を見て衝撃を受けられた。そして最後に北門から外へ出て出家者に出会って感銘を受け、そして自らも出家された、というおはなしです。見落としてならないのは、お釈迦様の出家のきっかけが、老・病・死との出会いにあったことを、明らかにしています。
苦行
出家の後、6年にも及び苦行を行い、その無意味さを理解しました。
成道
ブッダガヤ(現インド)の菩提樹の下で静かに瞑想に入られ、やがて悟りを開かれました。この時、仏陀(ブッダ・目覚めたもの)となられました。さとりを開いた人のことを、ブッダ、(仏陀、仏、ほとけ)といいますが、「目覚めた、目覚めた人」を意味します。つまり、お釈迦様ことガウタマ・シッダールタはさとりを開いて初めてブッダとなられたのです。35才の時のことです。
悟り、説いた教えとは 中道(ちゅうどう) 縁起(えんぎ) 四聖諦(ししょうたい) 八正道(はっしょうどう) の四つの真理から成り立っています。これらの修行を積むことによって煩悩をなくし、結果として苦を克服することができるとしているのです。
中道とは:お釈迦様は、王子のように裕福で贅沢な生活(快楽)と、過酷な苦行のような両極端を「二辺」として否定し、苦にも楽にも偏らないバランスの取れた生き方を中道としました。
縁起とは:親がいなければ子は生まれない。 このように物事には必ず「因(いん)」があってそれがあるところに必ず 「果(か)」も起こります。 あるものに対して他の何かがいろいろな形で縁となって働きかけをし、 その結果に何かが生まれ起こることを「縁起」といいます。 生まれたものもやがて死ぬ。若者もやがて老いる。愛し合う者たちにも いつか別れが来る。 これは人間の多くの苦しみを生み出す原因である。 このように物事はお互いに関係しあっている。
四聖諦とは:悟りに至るまでの四つの段階。
苦諦(くたい) : 一切は苦であるという真理
集諦(じったい) : 苦には原因があるという真理
滅諦(めったい) : 苦は滅するという真理
道諦(どうたい) : 苦を滅する道があるという真理
お釈迦様は迷いの現実こそが「苦」であり、その「苦」は克服できるものと明らかにされました。
八正道とは:人生の苦を乗り越えるための方法。
正見 :物事を正しく見ること。
正思 :物事を正しく考えること。
正語 :正しいものの言い方をすること。
正行 :正しい行ないをすること。
正命 :正しい生き方をすること。
正精進 :正しく努力すること。
正念 :正しい教えを忘れないこと。
正定 :正しく心を整えること。
八正道は悟りを開く方法であるとともに、人間形成の方法でもあります。
説法
成道されても、引き続き21日間座禅をされ、悟った真理を味わっていました。お釈迦様は、この真理が難解のため、凡人に説くことをためらわれていましたが、梵天の勧めで伝導することを決意され、サールナート(鹿野苑・ろくやおん 現インド)という所で、以前苦行を共にしていた5人の修行者に説法します。この最初の説法を、初めて法の車輪が回ったということで、「初転法輪」といいますこの5人がお釈迦様のはじめての弟子となります。このようにして、お釈迦様が言葉によって法を人に伝えられたとき、宗教としての仏教が成立したことになりました。以後45年間80歳まで、各地を巡り伝道を続けられました。
まとめ
お釈迦様は、ご入滅の間際まで、大涅槃の教えを説かれました。
毎年2月15日の涅槃会には、
尊い教えに出会えた感謝と真実の供養とを捧げていきたいと思います。
以上です。
最後までお読みくださりありがとうございました。 アンジュールのノマー
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