般若心経の国民的な人気のお経の伝来とは?(第2話)
1 「般若心経」伝来とは?初心者のためのやさしくて詳しい解説 その2
1-1 お経(般若心経)の伝来とは何?
お経とは、お釈迦様の教えを口伝(くでん)で伝えたものを、誰でも読めるようにまとめたものをさします。
しかしお経を書いたのは「弟子達」なのです。
お経が発生した当時のインドでは文字に書き写すことにより、その「教え」が自分から離れて行ってしまうと考えられ、口伝で伝えることが正しいとされてきました。
お釈迦様も、インドの慣習として、また、自分の説くところをすべて理解し伝えることのできる弟子への伝承という口伝の精神により、師から弟子に法を伝えたものでしょう。
口伝(く‐でん)とは
[ 言葉で伝えること、くちづたえ/ 師が、学問や技芸の奥義などを弟子に口で伝えて教え授けること。また、その教え、口授(くじゅ)、口訣(くけつ)]
何世代にも渡り、師から仏弟子への相承を伝承してきた事の素晴らしさ。
師は伝承できる仏弟子を探し、育てて相承させる。
そしてその仏弟子は師となり、受け継いだものを伝承できる仏弟子を同じように探し、育てて相承させる。
甕の水を隣の甕に一滴も残さず移すようなもの。
気の遠くなる時間を経て、お釈迦様の教えを護持してきました。
一言一句がお釈迦様の説かれたそのままとは思いませんが、仏弟子達の正法護持の努力により、2500年あまり経った今日でも、ありがたいことに、お釈迦様の教えに触れることができます。
お経が成立したのは、お釈迦様のご入滅後、四か月目くらいのこととされています。
教団の内部に意見の違いがあらわれたため、お釈迦様の教えを残すために、弟子たちが集まって仏典結集(ぶってんけつじゅう)と呼ばれる編集会議を開き、その会議でお釈迦様の教えと認められたものがお経としてまとめられたそうです。
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ではこの仏典結集をもう少し詳しく説明します
ご在世の頃お釈迦様のご説法は、一人ひとりの状況に応じて、適切な教えを説いて救いを与えていました。
ですから悟りをお開きになりご入滅されるまでの45年間には、膨大な教えが説かれてきたことになります。
お釈迦様は、ご入滅を間近にして「私の亡き後は、私の説き遺した教えが皆の師である」と説かれました。
お釈迦様ご入滅後、教えの後継者となった摩訶迦葉(まかかしょう)は、教団の内部に意見の違いは教団の存続に関わるとして、教団の中心になっていた十大弟子とお釈迦様の弟子の五百羅漢[五百人の阿羅漢(あらかん:悟りを開いた比丘(びく)]により、お釈迦様の説かれた教法と戒律を集成して経典をまとめるための集会を開いたのです。
これを第一結集と呼びます。
王舎城(おうしゃじょう、古代インドのマガダ国の首都)に集って釈尊の教えを唱集ました。
お釈迦様と常に行動を共にしていた多聞第一の阿難陀(アーナンダ)が自分の記憶に基づいて教法を先唱し、他の者が確認・訂正して、皆で復唱して暗記していく形で行われたと伝えられています。
同様に持律第一の優波離(うばり) が律を先唱し、他の者が確認・訂正して、皆で復唱して暗記していく。
こうしてお釈迦様の教えの記憶を確かめ,その正しい伝承に努めたと云います。
阿難陀(アーナンダ)は結集の折り、「このように私は聞きました」と唱えてすべての経を説き始めました。
これが「如是我聞」(にょぜがもん)で、
仏典の冒頭に置かれる語。「このように私は聞きました」という意味で、「如是」はこのようにの意、「我聞」はそれを聞いたこと の意です。
だから、経典は、仏の説であることを示すために「如是我聞」という出だしで始まっています。
でも、口伝の暗記だけで大丈夫だったのでしょうか?
文字で残さないのは完璧でないように感じますが、大丈夫だったんですね。
文字にしない間は、法と律が阿羅漢によって伝承されるので、(凡人の能力では記憶できない)
理解できない人によって改ざんされる隙がなく、これが最も完璧な記録伝承法だったようです。
ちなみに、十大弟子とは:
1.摩訶迦葉(まか・かしょう、頭陀行第一)
2.舎利弗(しゃりほつ、梵: シャーリプトラ、智慧第一)
3.目連(もくれん、梵:マウドゥガリヤーヤナ、神通第一)
4.須菩提(しゅぼだい、梵:スブーティ、解空第一)
5.富楼那(ふるな、梵:プールナマイトラーヤニープトラ、説法第一)
6.迦旃延(かせんねん、論議第一)
7.阿那律(あなりつ、天眼第一)
8.優波離(うばり、梵:ウパーリ、持律第一)
9.羅睺羅(ラゴラ、ラーフラ、密行第一、釈迦の実子)
10阿難陀(アーナンダ、多聞第一)
このようにそれぞれの分野において一番優れている人物が十大弟子とよばれていて、それぞれが悟りを得て教えを広めていきました。凄いです
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第二結集は、
仏滅後百年の頃、教団の拡大や社会状況の変化により戒律上の異議が生じたことを契機として意見が分かれてしまいました。
教団は、
教義や戒律を伝統的に解釈する保守的な「上座部」(テーラワーダ仏教)と、
戒律に執われず自由な解釈をする革新的な「大衆部」
に分かれていきました。
この分裂を「根本分裂」といい、また分裂以前を「原始仏教」、これ以後は「部派仏教」と呼ばれています。
テーラワーダ仏教を上座仏教と言うのも、いちばん上座(かみざ)に座って教える偉い人(長老:テーラThera の伝承していった 教え:ワーダvada)たちという尊敬の念から生まれた表現であったと思われます。
第三結集は、
さらに百年ほど後の仏滅後二百年の頃、アショーカ王の時代に開かれたと伝えられています。
分裂分派はさらに進み、それぞれの部派が独自の経典を伝承していくようになりました。
その後もお経は口伝えで伝承され、文字の使用が広まった三百年ほどのちの紀元前一世紀に、スリランカで初めて文字のお経が成立したと言われています。
よって、
お釈迦様本人が書いたお経は存在していないのです。
しかし、
お経は、お釈迦様の述べたことがかなり色濃く伝えられていると思われますし、なによりそこには、お釈迦様の考えを素直に延長していこうという思いが溢れていますから、「作者はお釈迦様である」といっても過言ではありません。
仏教伝来
お経はインドの経典が中国を経由して日本に伝わりました。
大乗仏教経典は、インドでいちばん権威のある言葉とされるサンスクリット語で書かれており、中国や日本に伝わったのはこの経典です。
当時、中国人はインド人の哲学や宗教に強いあこがれを抱き、多くの経典がシルクロードを通って中国にもたらされ、漢訳されました。
お経を翻訳するには、おもに、二通りのやり方があります。
一番目は、
意味を翻訳するというふつうの翻訳で、ほとんどのお経はこちらに属しています。
これらは漢文の読める人なら何が書いてあるか理解できるものです。
二番目は、
意味を翻訳しない音写(おんしゃ)という方法で、梵語(サンスクリット)を漢字で書き写すやり方で、原語を意訳せず音そのものを漢字で当て字にして、インドのお釈迦様の言葉でお経を読もうという趣旨のものでした。
真言(しんごん)とか陀羅尼(だらに)に当たります。
文字を見ても耳で聞いても意味が全く分からないので三昧(さんまい:仏教で精神を集中し、雑念を捨て去ること)に入りやすく、陀羅尼はふつうのお経の三倍の功徳があるといわれるそうです。
この他に、
日本で読まれるお経には、日本語で書かれた和讃(わさん)と呼ばれるお経があります。
文章は意味がよく分かります。しかし、分かりやすいだけについ意味を考えてしまい、無心になりにくいそうです。
つまり、まとめると、お経の書かれている言語別には、
①漢字に訳されたお経
②インドのサンスクリット語をそのまま漢字に音写した陀羅尼
③日本語で書かれている和讃[わさん:日本語でつづられた、経文の偈(げ)]
の3種類があります。
お経を内容別に分けたもの
経・律・論(きょう・りつ・ろん)の三つに分類されていて、
経蔵というお釈迦様の教えをまとめたもの
律蔵という僧団規則・道徳・生活様相など決まりをまとめたもの
論蔵という律蔵と経蔵の注釈や解釈を集めたものから構成されています。
これを三蔵(さんぞう)とよびます。
また、
この三蔵に精通した僧侶(法師)のことや訳経僧のことを三蔵法師(さんぞうほうし)と呼ぶこともあります。
ちなみに、
日本では『西遊記』に登場する人物「三蔵法師」として特に有名ですが、三蔵法師というのは一般名詞であり、尊称であって、固有名詞ではありません。
西遊記の三蔵法師は数ある三蔵法師のうちのひとりです。
お経を教義別に分けたもの
小乗仏教の小乗経典、大乗仏教の大乗経典、密教の密教経典の3つに分けることができます。(これは説明が長くなりますので、別のコーナーでお伝えします)
「般若心経」初心者のためのやさしくて詳しい解説シリーズ目次 全8話
1 「般若心経」とは?初心者のためのやさしくて詳しい解説(第1話)
2 般若心経の国民的な人気のお経の伝来とは?(第2話)
4 般若心経の漢訳や西遊記を書いた玄奘三蔵法師とはどんな人?(4話)
6 般若心経の寸劇の舞台設定場所とは?インドのマガダ国(6話)
7 般若心経の構成(第7話)
8 全文訳(第8話)
では、お読みくださり、ありがとうございます。
アンジュールのノマー
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